ども。
おひさしぶりな健です。
いやぁ年も明けて早いもので1月も半ばに差し掛かるわけですが…
今回の「アウトプットに対するインプットの重要性」とまぁ書いてみる訳です。
ここで言う「アウトプット」とは、個人または法人が発信する全てをさし
「インプット」はそれを作成する人が外部から吸収、収集している物をさして話していきます。
まぁまず分かり易い例としては「小説」
これはまず豊富な知識(物事や例え話、諺など)が必要ですし、漢字力や語彙力等もパソコンが復旧している今でも必要ですね。
小説と一括りで言ってもジャンルは様々ありますが、著者毎に文の書き方は違えども、その知識量や言い回しのセンスは常人を超えているでしょう。
ではその書き手の方々は、幼い頃からそのような文を書けたのでしょうか?
まず無い、と思われるでしょう。
その通りです。
「知らない事は話せない」と同じで、裏を返せば様々な文や用例を見て来ているから書ける訳です。
つまり、様々な文や用例を「インプット」してきたからこそ、小説として「アウトプット」出来るわけですね。
ではもっと身近な例として「SNS」
要はTwitterやFacebook、少し前はmixi等と挙げられます。
個人単位のアウトプットですね。
小説等の出版物だと、書籍化するにあたり「校正・校閲」を担当されている方が更に誤字脱字や言葉の修正をしているのに比べ、個人のアウトプットは校正はありませんので、誤字はそのまま。
校閲もありませんので、間違った言葉の使い方等もそのままです。
だからこそ、アウトプットからのインプット量の違いが出てきます。
見てて面白いですよね?
フォロワー数のみで比べるのは乱暴ですが、フォロワー数が多い方は割と定期的な頻度で読みやすい、又は面白い書き込みを流している傾向が見られます。
このブログみたいに不定期でつまらん事ばかりだと見る人も少ないわけです(笑)
で、面白い人とリプライであってもやり取りをしてみると、やはり面白い!
何が面白いのかを述べよと言われても困りますが…
例えば話の引き出しが多かったり、言い回しが面白いのは勿論、単にウケの狙い方が上手だったりします。
これらも結局のところ、それまでのインプットからの積み重ねなんだと思います。
まぁダラダラ書いてみましたが…
クオリティの高い(面白い、綺麗等何でも)物を発信(アウトプット)したいならば、より良い、そして多くの事柄を吸収観察(インプット)するのが必要なのだなぁと思ったわけです。
エラソーな題名でこんなグダグダとか(笑)
やはり僕は文を書くのが苦手なのだなと。
活字を読むのは好きだけれども、文にするのは難しい。
おあとがよろしいようで!
0 件のコメント:
コメントを投稿